年末から年始にかけて、隙間時間に
PCの写真の整理をしているのですが
「実るほど頭をたれる稲穂かな」を
思わせる稲の写真にくぎ付けになり
今までとは違った感覚で気づいたことが。
稲穂は実ってその重さで頭を垂れてるけど
もしかしたらこの光景は
自然界に対する畏敬の念ではないのではと。
もちろん農家の方々のご苦労の賜物に
応えて成長したことにも
頭を下げているのかもしれないけど。
小学生の頃から学校でも家でも
この教えはたたきつけられていたので
謙虚に生きよとの意味に捉えていました。
でも今日、この写真を見ていて
そうではないと思えたのです。
そして人が謙虚になるというのは
上から目線の立場でこんな言葉が生まれたのではと。
そもそもみな平等なはず。
上も下もない。
なのに謙遜、へりくだるというのもおかしい。
本当は人ではなく宇宙に、地球に、自然に対して
こうべを下げる畏敬の念こそが
謙虚の本当の姿ではないかと。