
2009年5月1日に
お店をオープンしてから
16年目に入ります。
お店をやってみようと思った動機は
主婦が一生作り続ける料理に疲れ始めていた時でした。
どうせ一生作るのならお店で家庭料理を作れば
一石二鳥ではないかとの発想が浮かんだ時からです。
この発想が苦労の道に進むとは
想像もしていなかったのですが。

私たち家族が隣に引っ越してきたときには閉店していたカフェ「さくら坂」のお店を購入しないかとの地主さんの誘いがあり店内に案内され一目で気にいり、、、

外観しか見ていなかった店内へ案内されて想像以上にカナダ住宅の内装に感動しました。

店内はいつでも営業できる状況でした。

全ての厨房機器も100万円で購入して欲しいとの条件を出されたが断り家と土地だけの購入に。
購入が決まったその時から毎月、
隣の自宅とお店の多額の借金返済が始まり、
この時私は57歳。
自己資金ゼロの
全て借金でのスタートで後に引けない出発です。
この年齢は私が尊敬する絵本作家のターシャチューダーが
あの素敵なバーモント州の土地を購入し、
古びた18世紀風の家を建て荒れ地でガーデン作りを始めた時の年齢です
また母が日本を後にしたのも56歳。
母は日本で造園の国家認定一級技能士の資格を取っての
渡米への移住でした。

母はアメリカの墓地に眠ってる。ここから持ち帰った「ユリノキ」の種が育ち庭にそびえていて母に見守られている毎日です。
年齢が同じということを励みに
ますます家電量販店での販売員として
多額の給料を頂くために販売に全身を注ぎ
休みの日は
ガーデニングに励む日々が
約2年半続きました。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
勾配のきつい場所での庭仕事は本当に大変でしたが
日が沈み暗くなるまで頑張り抜き、
常に母との語らいの中で進む庭仕事でした。
晩御飯の支度時間が苦痛だったのが蘇ります。
でも母はどんなに忙しくても辛くても
手作りの料理を欠かすことはありませんでした。

思い通りに出来上がっていく庭を2階から眺めて笑顔に(^O^)
食事を一生作り続けるということに
疑問を持ち始めたことから
逆の発想で
カフェオープンを目指し始めたことが
険しいものとは想像できなくて
ガーデンカフェへの夢が大きく膨らんだ日々は
本当に楽しくて充実した最高の日々でした。

カフェへの道のために購入した本です。
本日はここまでです。
今日から、できるだけ毎日、
今日までの日々を振り返って
綴っていきたいと思います。