11月19日(火曜日)
紅葉がきれいな季節になり
テラス席でのご予約をされる方が多くなったのに
法面の庭は夏の暑さで手入れも
雑草も抜いていなかったので荒れ放題!!
急に思い立ち見える範囲の雑草を取り除きました。
そこまでは良かったのですが
テラス席の床下に5年前に壊れた
ドロワー冷蔵庫(引き出し4個式)が目につき
壊れてもDIYの道具入れになると思い
処分していなかったのです。
そこで今動かすしかないと決めて
テコの原理を利用して動かしていきました。
土の柔らかい場所まで来たときに
ここで間違ったら法面に転がってしまい
再び持ち上げるには男手3人はいるだろうと
思ったので一人で何とか頑張って安定させたのですが
最後の力を振り絞ったときに
鈍い音と同時に激痛が走り
(ああ、これがぎっくり腰なんだあ)とショックで!!
そのあとはもう地獄です。
しばらくして何とか歩けたので
痛みをこらえて買い出しに出かけましたが
いつもの2倍の時間がかかり、食材も
小分けして運ばなければいけない状態でした。
普通ならお店の営業も出来ない状況です。
確かに立っていても腰かけていても
寝ててもその激痛で動けない状態でした。
くしゃみも咳も出来ない状態です。
1センチ動かすのに30分はかかる
勇気をを出さないと動けない等々、、、
初めてぎっくり腰の痛みで苦しまれている皆様の
お声が直接、体に沁みてきました。
同時に様々な病気で苦しまれておられる方々の
痛みの大変さや心理的な不安などが湧いてきて
健康であることへの最低の幸福感、
当たり前であることが難しい
有り難うの意味が身に沁みました。
もし今病院に行ったとしても
過去の体験された方のお話では
すぐには治らないと言われていたので
こらえて営業をすることにしました。
ご予約されている方々へ申し訳ないとの思いが
溢れてきたのも当然のこととしてありました。
置き薬の頭痛、腰痛の薬を飲みながら
翌朝(私の誕生日)は
この件は73歳を迎える記念日に
何か意味があるのだろうと思うことにして
早朝から仕事にかかりますが
立ったり座ったりできないので
何もかも時間がかかります。
こんな時にどんなメンタルを持つべきかと
考えると
(生きてるだけで感謝!、ぎっくり腰は病気ではない!)っと
浮かんでくるのですが効果は薄いのです。
どうにか痛みを感じない心の持ち方はと考えていると
極めつけが下りてきた感じで
苦労続きの母の姿が浮かんできたのです。
お嬢様育ちだった母の結婚生活は苦労ばかりの人生で
母の努力と辛抱強さを物心つく頃から常に見ていました。
そして一番思い出すのは金銭的にも苦しんでいましたが
それ以上に身体的な苦労です。
血を吐いてでも大けがをしてでも弱音を吐かず
頑張りとおす母の姿が目に焼き付いているので
母があんなに痛みをこらえて頑張れたのだから
私にもできないはずがないとの気持ちが湧いてきて
痛みを忘れさせてくれるのです。
また主人も励ましてくれました。
裕福な家庭に育ちながら
兄弟8人の中学生だった時に
父親が亡くなったのですが
生活が一変して
長男である主人は下の幼い6人の弟妹、姉のために
働かなければならなくなり
当時、川の砂を1袋15円で集める仕事に就き
重たい砂を決められた量まで自分で入れて
運び出す仕事をしていたのです。
そんなことでは生活ができないので
母親を手助けするために家族のために
中学生の主人が思いついたのは養鶏でした。
家の財産を売り払い養鶏を始めたのですが
ある日の夜、鶏のために寒さを防ぐために
ろうそくを置いていたのが強風にあい
鶏舎も住まいまでが大火事にあい
何もかも失ってしまったそうです。
翌日は村の習慣で
火事を出した責任とお詫びで
裸足で村中を母親と一緒に
お詫びに一軒一軒歩いて回ったそうです。
しかもその日は皮肉にも大雨で
傘もささずにずぶぬれだったと。
中学生の子供がどんな思いで詫びていったのか
自分のせいで家族を怒涛に迷わすことになった状況を
どのように受け止めていたのか
何もかも失い丸裸の状況で
どうやって生活していったのだろうと想像するだけで
涙があふれてきます。
私の結婚の動機は恋愛ではなくて
こんなに苦労している人なら
結婚しても大丈夫、
子供の教育を任せられると人だと
感じる思いの方が強かったからだでした。
主人と母親の苦労に比べたら
私などのぎっくり腰なんて
苦労ではない、我慢さえすればいいのだと
言い聞かせて一週間を乗り越えることが出来ました。
1週間後、定期的に受けているカイロプラクティックで
ぎっくり腰の治療を受けて8割ほど回復しました。
毎週1回受けて体の仕組み、ストレッチなどを
予防策として習得していたことも
役に立っていたと思います。
今日は2割残っている痛みの治療を受けますが
すでに今は2週間前の激痛はなくなり
不自由を感じることなく行動できています。
亡き母と亡き夫を思いながらの
2週間でしたが
これからも様々な場面で
頑張る気持ちを与えてくれると期待しています。
最後に一番貫けた思いは
「それでも生きている、有り難い」です。