当たり前はいいなあと思う。
昔、(高校卒業後)
いつも帰宅時間が重なり
一緒に帰っていた友達と
良く会話していたことを思い出す。
「平凡過ぎて嫌になるね
なんか刺激が欲しいね」と
バスから降りての家路
友と分かれる時間まで
そんなことばかりを話していた
平凡の反対語は「非凡」
平凡は何も優れていないこと
非凡は並みを外れた優秀さとあり
また奇抜とも書いてあった。
それならば
今は奇抜なとき?
もし優秀な非凡の時だとしたら
これをきっかけに
世の中がいい方向へと
変わっていくってこと?
当たり前の日々の大切さを
教えてくれると同時に
もしかしたら
大きく変われる時が到来
だとしたら
もう少しの我慢
みんなが協力して
絶え抜くとき
当たり前を取り戻すために
優秀な選択をして
よりいい社会になるときなんだ