私のパソコン能力はほぼ無に等しいなあと思うことしばしば。
子供たちがいないと何もできないが現状です。
新しいパソコンも古いパソコンも使い切れないままで問題が発生します。
今日まで自分で解決出来ず、なんとか時間を見つけてくれた次女に見てもらい
やっとブログの更新が出来るようになりました。
(下の写真は次女が昨年の誕生日にプレゼントしてくれたフリージアの球根が咲いたものです。)
さて母の日に思うこと、というかいつも話題にしていることですが
次女が小学生の低学年だった頃でしょうか
喜び勇んで私にカーネンションを買ってきてくれ肩もみ券などとプレゼントしてくれました。
たまたま家にいた主人はそれを見て怒り始めたのです。
「カーネンションなんて明日になれば半額になるんや
なんでそんな高いものを買ってくるんや、商売人の思うつぼや」と。
渡した次女ももらった私も悲しくて悲しくて、、、辛くて辛くて、、、」
そのことを食事の時に三女が話し始めて
「あの時のことを思い出すと悲しくなるわあ、おねえちゃんが可哀そうすぎる。
そばにいた私もすごく悲しくなったのを覚えているけど
お姉ちゃんは偉いわ、
それでも母の日にはカーネーション以外のプレゼントいつも用意しているから」と。
(この花の球根も誕生日プレゼントです。)
確かにそうなんですけど、小学生の子供にそんなことを話す主人はおかしいと
重い喧嘩をしたのも覚えていますが、、、
(このムスカリも同じくプレゼントされた球根)
最近思うことは「花ロス」という言葉が「食品ロス」と
同じ扱いで問題になっている件についてですが、
毎日買い物に出かけるときに思うのは
溢れるカーネンションと値段の高さに驚かされます。
これが流通業界の普通のことなのかもしれないけど
きょう、行った先ではカーネンションは半額になっていますが
それならまだしも廃棄されるほうが多いとか、、??
母に感謝する気持ちを表すのに本当にカーネンションが必要なのかなと
疑問がわいてきます。
毎年同じ疑問を抱きながら訪れる「母の日」
私には母はいなくなったけど母の日にいただくカーネーションよりも
毎年花を咲かせてくれる球根のほうが有難いです。
でも病気して病院のベッドでいただくカーネーションは格別かもしれませんが、、。
(下の写真は次女が藤棚を壊している、駆け付けて用意してくれたDIY用品です。)
その後の次女と父親の関係はとても良好だったのがせめての救い。
主人が亡くなるまでに日々、一番の話し相手で頼られる存在になっていた次女です。